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水面に揺れる月

「どうした?」

 唐突にかけられた声に、少年はハッと振り返る。反射的に腰の短剣に手が伸びたのは、戦いに身を置く者の

悲しき習性。

 暗がりから現れた声の主に、少年はふぅ、と緊張を解く。

「ナッシュさん、戻ってきてたんですか」

 「ああ、、ちょっと倉庫に預けてたものを取りにね。明日の朝にでもここを発つつもりだが」

 月明かりに照らされた顔は、見知った仲間のもの。といっても、さほど親しいわけでもない。

 最後の戦いの後、儀式の地に集まっていた仲間たちは遺跡の崩壊に伴い、散り散りになって逃げた。

 ようやくほとんどが帰還し、故郷に戻る者あり本拠地にとどまる者ありと、それぞれの身の振りようを決めて

いる。

 そんな中ナッシュだけは今だ戻ってきていなかったので、恐らくそのまま旅立ったのだと思われていたのだが、

「……何か、用ですか?」

「いいや、通りかかっただけさ。お前さんこそ、こんな時間にどうした?」

 時刻は真夜中を過ぎている。遅くまで灯っている酒場の明かりも、すでに落ちてしまっている。

「散歩、かな……」

 うそぶく少年に、ナッシュはそうか、と答える。あえて深くは聞かないナッシュの態度が、彼にとってはありがた

かった。

「明日には、カラヤに戻るんだろう?」

 月明かりに揺れる湖水を見つめながら、ナッシュが尋ねてくる。

「うん。早いところ村を復興しないとね」

 思えば、随分長いこと村を離れている気がする。

「ナッシュさんは?」

「さあ、どうするか……」

 晧々と輝く月を見上げて、そう答えるナッシュ。淡い金髪が夜風に靡く。

「カミさんがうるさいからなあ、帰らない訳にもいかんだろうが」

「ナッシュさん、結婚してるんだ」

 そう言えばクリスがそんな事を言っていた気がするが、目の前のナッシュを見ているとどうもそういう気が

しない。

 それだけではなく、このナッシュという人間は謎めいた部分が多い。色々な人間と面識があるようだし、様々

な情報を手にしているようだ。ゲドと同じ傭兵隊に所属しているというからにはハルモニアの人間なのだが、

任務で各地を飛び回っていたというだけあって様々な土地に付いても詳しい。

 それでも、どこか抜けたところのあるナッシュに、ヒューゴはどちらかというと好印象を覚えていた。

 さほど親しい仲ではない事で、むしろたわいもない話をするにはちょうどいい相手ともいえる。なにしろ彼は

聞き上手だ。

「……ねえ、ナッシュさん。聞いていいかな」

「なんだ?」

「……俺には、分からないんだ。あの仮面の男の気持ち」

 水面を見つめながら話すヒューゴを、ナッシュは穏やかな瞳で見つめる。

「俺はまだそんなに長く生きてるわけじゃないし、真の炎の紋章を受け継いだのもつい最近で、何にも分から

ないし……。だから」

「なぜ、真の風の紋章を破壊しようとしていたか、分からない……か?」

「そう……。そうなんだ」

 あの時。シンダル族が残した遺跡の中で。

 長く辛い戦いの末に辿り着いた最後の相手は、ヒューゴに一つの未来を見せた。

 完全なる死の世界。それは、悲しき未来。

 真なる27の紋章が導く未来は、戦いの果ての終焉。

 それを断ち切るために、彼は運命を変えてみせると言った。

 真なる風の紋章を破壊し、自らを滅ぼすことで。

「俺には……世界がどうとか、未来がどうとかいうよりも、むしろあいつ自身がただ、運命から逃げたがってた

ように見えた」

 人の意志は、運命さえも変えられる。そう信じた炎の英雄。

 そんな彼の意志を受け継いだヒューゴもまた、そう信じている。

 だからこそ、彼の言葉には頷けないものがあった。

「世界がどうのなんていうのが、俺には言い訳やごまかしにしか聞こえなかったんだ」

「そうだな……」

 ナッシュがそっと目を伏せた。

「……なあヒューゴ。あいつは……真の紋章の入れ物として生まれたんだそうだ」

 ヒューゴが眉をひそめる。

「入れ物?」

「ああ。あいつと……そして神官将ササライは、共に神官長ヒクサクの複製としてこの世に生を受けた。生まれた

ときからあの姿とあの記憶……真なる紋章の宿す記憶を持って生まれてきた。それがどういうことか、分かるか?」

「生まれたときから……」

 この世に生を受けたその瞬間から、永遠にも近い時の記憶を持って生まれたモノ。

 ただ、紋章を宿す為だけに作られた存在。

 それは、余りにも悲しすぎる命。

「でも……」

 それでも彼は人として生き、人として死んだ。

 誰かの複製であろうとも、その心は彼自身のものだったはず。

 彼の人生において、一人たりとも優しい言葉をかけるものはいなかったのか?

 一瞬たりとも癒される時はなかったのか?

 彼を止める者は、別の運命を切り開くことを提案する者は、いなかったのか。

 ―――そして今、あの結末を迎えた彼の魂は、安らいでいるのだろうか……。

 ヒューゴには、分からなかった。

 納得がいかない様子のヒューゴに、ナッシュは肩を竦めてみせる。

「ま、結局人ってのは自分のことすらもよく分からないんだ。まして他人の気持ちを完全に理解することなんて、

できっこないのさ。第一、理解したところで、お前の心が変わるわけでもないだろう?」

「……そうだね」

 結局、決めるのは自分自身でしかない。

 そう。彼もそうして、自分の信じた道を貫いただけ。

 ヒューゴは小さくため息をつくと、思いっきり背伸びをした。

「ありがとう、ナッシュさん。なんか、ちょっとすっきりしたよ」

「そうかい?お役に立てたなら幸いだな」

 気取ったポーズで一礼してみせるナッシュ。その様子を見て、ヒューゴの顔に笑みが戻る。

「ナッシュさんって、不思議な人だね」

 以前ナッシュと行動していたというクリスは、彼のことをこう評していた。

「とぼけた奴だが、実はそうでもない」

 実にクリスらしい評価だと思ったものだが、なるほど的確だ。

「そうかい?」

 小首を傾げてみせるナッシュ。大の大人がそんなポーズを取ってもかわいくも何ともないのだが……。

「……俺、ナッシュさんみたいな大人になれるといいな」

 いつまでも少年の心をもち続ける大人。辛い時でも笑ってみせる、そんな大人になりたいと、ヒューゴは願う。

「俺みたいな?やめとけやめとけ、ろくな目に合わないぞ」

 何故か真剣に手を振るナッシュが、余計におかしく思えて、ヒューゴは思わず笑ってしまう。

 しかし、その笑顔がふっと曇る。おや?と眉を上げるナッシュに、ヒューゴは呟いた。

「……俺も長い時を生きたら、真なる紋章の記憶に踊らされちまうのかな?」

 今はまだ、受け継いだばかりの紋章は静かに右手に眠っている。しかし、いつの日か紋章は語り始めるだろう。

長い長い歴史と、そこを駆け抜けた者達の話を。そしてこの先に訪れる未来の展望を。

 それを聞いたとき、今の信念を持ち続けることはできるのだろうか。そして……。

「今はいいよ、例え俺が間違った方向に進んでも、みんながそばにいる。叱ってくれる。教えてくれる。でも、その

うち俺は一人になっちまう。その時……」

「なに。そう悲観することもないだろう」

 ヒューゴの言葉を遮って、わざと明るくナッシュは言った。

「俺の知り合いが昔、こんな事を言っていたことがある。そいつも真の紋章を宿した奴だったが……」


 わらわは”月の紋章”に感謝しておる。

 今まで生きてきた長い年月も、そう辛いことばかりではなかったからの。


 遥か昔。月明かりに照らされて、少女は静かにそう語った。

 それは強がりではなく心からの言葉。長い年月は彼女に悲しみももたらしたが、決してそれだけではない。

「長く生きればこそ、見えてくるものもあるさ。それに、別れたら、また出会えばいい。自分から目を閉ざさない

限り、人はお前の前に現れる。お前に語りかける」

 紋章に選ばれし者。彼らは人の時の流れから外れ、果てなき旅を続ける。

 しかし、旅の途中には新たな出会いが待っているだろう。道を歩む限り。

「そっか……」

 ヒューゴは頷いた。

「俺が俺であることを忘れない限り、大丈夫、かな」

「ああ、そうさ。お前はカラヤのヒューゴ。そして、俺たちの英雄だ」

「その英雄ってのは、やめてくれないかなあ」

 途端に照れるヒューゴに、ナッシュは苦笑しながら少年の背中を叩いてやる。

 炎の英雄の志を継ぐ者、ヒューゴ。その心は、純粋で素直な少年に過ぎない。

 これからどんな未来が彼を待ち受けているかは分かりようもないが、このまっすぐな心を持ち続けて欲しい。

そうナッシュは切に願う。

「ほら、そろそろ寝ないと明日に障るぞ」

「うん」

 城内へと戻ってゆく二人の影が、長く伸びる。

 晧々と湖面を照らす月明かりは、いつまでも優しく辺りを包み込んでいた。



-完-

 ちょっと長くなっちゃいましたが、私なりの仮面の男さんに対する考えが色々…。

 うちの炎の英雄はヒューゴくんだったので、こういう話になってます。

 しかし、この時(エンディング直後?)ナッシュが城にまだいたのかなあ、という疑惑はありますが、まあお話、

という事で。

 文中でヒューゴも言ってますが、私には仮面の男の言葉が、ただただ自分のためだけに紡がれているように

しか聞こえませんでした(>_<)

 だったらそう言えよって思ってしまいました。お題目を並べ立てて自分を正当化せずに、素直に紋章から解放

されたいと言って欲しかった。

 この辺は解釈の違いもあるでしょうから、何とも言えませんが。まだ一周しかしてないから、読み落としている

こともあるでしょうしね。

 とりあえず、ナッシュくんにシエラ様のあの言葉を言わせたくて、書いたようなもんです(^_^;)

 シエラ様って、強い人だと思います。分かってるうちで一番古くから紋章を受け継いで生きてきて、辛いことも

いっぱいあったはずなのに、「辛いことばかりではなかった」と人に言えるんですから。

 って結局、外伝ネタなんですね(^_^;)

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